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2010/02/14 SUN(No.2507)


早春





 このところ、土屋賢二のエッセイ集を立て続けに読んでいる。今週だけで「哲学者かく笑えり」「紅茶を注文する方法」「人間は笑う葦である」「ツチヤの口車」、4冊である。例の[キット評価]で言えば、揃って5つ★、粒ぞろいで面白い。
 それはいい。だが、ふと気がついたら、ここ数日のメルマガのコラムが、こっちもあっち(プレミア版)も、意図せぬうちに「ツチヤ調」になっていることに気付いた。もともと無定見を国是とする日本人である(確かにそうかと問われれば自信はない)上に、風見鶏、または風になびく柳、あるいは人の尻馬に乗る名人と異名を馳せるボクのことである。他人の文章に影響されるぐらいは屁の河童というか、朝飯前というか、無意識のうちにそっくりの文体になってしまうのである。晩飯前でもできてしまう。ツチヤのユーモアエッセイが憑依してしまったみたいなものだ。
 この伝で、過去のコラムを読み返してみると、シリアスなサスペンスものなどを読んだ後は、コラムもシリアス調になっているし、時代物を読んだ後は、語り口が古風になっていたりする。児童文学を読んだ後は、ちょっとお茶目だ。重ねて言うが、意図したものではない。自然にそうなってしまったのである。虹色に染まる人生なのだ。
 しかし、芸の世界ってのは、音楽や美術を引き合いに出すまでもなく、文章書きでも写真でも、スタートは人真似なのである。上手に真似ができる人は上達が早い。小説家でも、たとえば石田衣良を引き合いに出すまでもなく、文章の勉強のために他人の小説をそっくり書き写す修業をしたというような人はおおぜいいる。修業時代の画家の卵は、巨匠の絵の模写をするというのが半ば常識になっていたりする。
 そう考えれば、ボクの文章がしばしば他人の調子に似てしまうというのは、それはそれでいい修業になっているとも言える。問題は、修業ばかりでその後がないという点だけである。写真もそうで、このところブレッソン後遺症が後退する兆しがない。影響されっぱなしの人生だ。まるで、無個性の作り方教室みたいなことを続けているわけで、こんなことでいっぱしの写真家、またはもの書きを名乗っては顰蹙だ。今後は、そのときどきに影響下にある巨匠の名を借りて、たとえば「ツチケン風エッセイスト」とか、「写真家・ブレッソン風味」とか、そういう風に名乗ることにしよう。


今日のプレミア版


路地



展示作品:普及版「路地」
エッセイ:撮影会はビールで始まりビールで終えた
今日のポイント:下手くその後ろ姿
ネット撮影会講評:休載
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by osampo002 | 2010-02-15 11:46 | 本を読もう!
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